秦野伊勢原医師会の沿革      

秦野伊勢原医師会は戦後新生医師会として再出発して50有余年になります。 この間の医師会史を主に救急事業を中心に簡単に述べたいと思います。

明治26年
(1893年)
横浜に神奈川県医師会ができました。当地区はこの時、横浜医師会大住郡分会として発足しました。 その後、中郡医師会(現在の平塚市・秦野市・伊勢原市・大磯町・二宮町、)中郡平塚市連合医師会、神奈川県医師会中郡支部などと改称されました。
昭和22年11月
(戦後)
「社団法人神奈川県医師会」創立と同時に「社団法人中郡医師会」が創立され再出発しました。
昭和30年5月 「秦野市中郡医師会」、昭和46年3月には秦野市・伊勢原市・二宮町・大磯町の二市二町からなる「秦野医師会」と改称しました。
昭和49年 「秦野医師会公衆衛生センター」と付属診療所「秦野市休日診療所」(現在の休日夜間診療所の隣の建物です)が建設されました。 これにより秦野市の休日の救急診療は従来の在宅輪番制からセンター方式に移行しました。
昭和50年4月 医師会名を現在の「秦野伊勢原医師会」と改称しました。 大磯町と二宮町が「秦野伊勢原医師会」から分離しました。
昭和53年7月 秦野市では内科系医療機関が夜間の一次の救急診療を輪番制で開始しました。 また、二次の救急診療は国立療養所神奈川病院、秦野赤十字病院、八木病院が当たりました。
昭和54年3月 伊勢原休日診療所が建設され4月より伊勢原市も休日診療をセンター方式で開始しました。 また伊勢原市においては他地域に先駆けて昭和38年から内科系・外科系休日当番医制度(在宅輪番)を実施していましたが、 これが評価され県知事より感謝状を贈られました。
昭和56年4月 伊勢原市でも内科系夜間救急当番制を開始しました。
昭和59年4月 眼科救急医療全県システムが開始され「秦野伊勢原医師会」は県西、県央地区の責任機関となり、 この地区の窓口連絡を受け持つことになりました。
昭和59年度 神奈川県救急医療功労施設として秦野市休日診療所が県知事より表彰されました。
平成元年 神奈川県救急医療功労施設として伊勢原市休日診療所が県知事より表彰されました。
平成2年4月 休日耳鼻科救急医療を「秦野伊勢原医師会」で年間8回受け持つことになりました。 秦野市休日診療所が従来の休日診療所の隣に建築され4月より内科系・外科系と年8回の耳鼻科の休日診療業務を開始しました。
平成4年7月1日 秦野市の平日夜間の救急診療が在宅方式から休日夜間診療所における定点方式になりました。
平成8年1月 伊勢原市休日夜間診療所が市民プラザ内に完成しました。 これにより伊勢原市でも平日夜間の救急診療を定点方式でやるようになりました。
平成9年度 休日耳鼻科救急医療は秦野市休日夜間診療所から伊勢原市休日夜間診療所に変更となりました。
平成9年9月9日 当医師会が長年の救急医療に対する貢献により厚生大臣表彰を授与されました。

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